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キムチ

日本のキムチの現状
2004年7月
キムチの市場規模が急激に膨らんできたのはこの10年間です。ソウルオリンピックでの韓国ブーム以来、最近のテレビドラマ「冬のソナタ」の爆発的ヒットで第2次韓国ブームともいうべき現象が起きていますが、このヒットも漬物業界から見れば既にキムチ漬の伸びが我が国の食事情に大きな変化をもたらしており、それから見れば起こるべくして起こった結果ともいえます。

 1993年に都内に直売店を開設したある韓国の食品企業は立て続けに2号店も開き、その後も短期間に急成長しました。「食品は単なる商品ではなく文化である」として、韓国の食文化を日本に紹介したい、と社長は語っています。10年前からのキムチの急成長の下地には、その前のバブル期に対する海外、特に韓国の若い企業人の熱い視線が指摘されるでしょう。この10年に日本で成功した韓国企業の創業者達はバブル期に来日し日本のマーケットを研究しているのです。在日韓国人は現在、日本国籍をもっている人で南北併せて約70万人といわれていますが日本に帰化した人達を含めると約150万人はいるといわれています。

 本場韓国キムチに加えて最近では中国原料を使ったキムチも多くなっています。スーパーの売場を見ても、そういう商品が漬物売場の大半を占めている店さえあるのはご存知の通りです。その現象は韓国でも同じのようで、韓国も生活レベルが上がり日本と同じように家庭で漬物を作ることは少なくなっています。先日も中国産キムチの輸入量が韓国からの輸出量を上回ったというニュースが報道され韓国では大きな話題になったばかりです。
本場韓国から見れば日本国内のキムチには2種類あるようです。本場ものと在日韓国人スタイルのものです。以前は後者のもので朝鮮漬と称されていたものです。かつての韓国の食生活と現在の韓国の食生活は大きく違っています。来日した韓国企業の人達からすれば、在日の人達が形成してきた食文化は日本と韓国の間にあるもので、彼らの多くが、自分達は現在の韓国の食文化を紹介したいと語っています。

 韓国の事情を、その社長の話から少し紹介してみましょう。
「私達の民族は李氏朝鮮という時期があった。それは新羅時代より貧しかったといわれている。それから植民地時代、戦後の朝鮮戦争と経てきて、その間に上流階級の食文化が破壊されてしまった。日本では戦後の焼け跡の時に相当する時代が70年から100年間続いた。その人々が記憶している食べ物というのは祝い事の時の食事などです。1970年代に入って韓国では経済復興が始まった。そこで何を最初に始めたかというと自分達の祖先が食べていた食事を再建しようということだった。日本では明治以来西洋化にともない食習慣も西洋の栄養学、衛生学事にそった影響が大きくなってきた。これにより日本の伝統的なものと西洋的なものの組合せが食文化を形成した。ところが韓国では自分達の祖先達が食べていたものを再建しようという動きがあった。ここには二つの流れがあり民族学的な方向と食品や栄養面でのビジネス的な方向だ。その両者が定着したのが80年代。未だにその作業は進行中だ。そこで私もただ韓国食品を紹介するのではなく韓国の食文化を日本にご紹介したいと考え、現在の事業を展開している。私としては在日の文化を大事にしながら、現在の韓国の食文化を紹介したいと考えている」。

食品経済新聞   積山 諭

 

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