東京漬物史

東京の漬物の歴史

江戸から昭和へ―東京の漬物文化の歴史と進化

漬物は昔からある食べ物ですが日本の歴史の文献には献上品や贈答品として記述があります。しかし米·塩·酒等のように史料として購入記録がほとんどありません。江戸時代の品川や千住の宿場町でも漬物を商売としていた形跡は有りません。
東京の漬物の歴史は江戸幕府が徳川家康によって東京に開府してから始まります。江戸の都市を造るため多くの人々が全国から集まり、自給自足の食事から食べ物を購入ことが始まり、その過程で漬物が発達しました。
江戸時代の漬物は色々あるのですが東京·江戸で発達したのは東京都練馬区が主産地となった『たくあん漬』でした。 明治の半ば頃に入ると海外から安い砂糖が入り、東京都中央区日本橋大伝馬町の『べったら市』に砂糖で密かに味付けた浅漬大根が売り出されました。
また海外から缶詰の技術が日本に入り、東京上野公園で開かれた博覧会等で缶詰を研究したと思われる上野池之端の『酒悦』の野田清右衛門によって福神漬が創製されました。
東京中央漬物が昭和9年に創立した時の主な株主及び得意先は東京のたくあん漬·福神漬·なら漬·べったら漬の業者達でした。

小冊子べったら市

小冊子 べったら市ができました。

福神漬けの碑

浄光寺にある福神漬の碑

福神漬の碑(浄光寺)

JR山手線·京浜東北線·地下鉄千代田線西日暮里駅下車線路沿いの台地に諏訪神社があり、その隣に浄光寺(別名雪見寺)がある。
東京都荒川区西日暮里3丁目4ー3

福神漬発明者野田清右衛門表彰碑

従三位熱一等 村田 保氏揮毫
立者 風戸弥太郎、堀江良太郎、田中新蔵、内田勇太郎、山田箕之助、朝比奈銀次郎、岩堀小太郎、西貝富太郎、西村
小市、加藤歌吉、村田与兵衛、山本半蔵、青木平四郎、綾部清三朗、細中源蔵、須崎善四郎

村田保

明治大正期の官僚·政治家
大日本水産会創設時の副総裁。貴族院議員(勅撰)勲一等。
わが国水産会の功労者。
天保13年(1843)生まれ、大正14年(1925)死去。肥前唐津藩。
早くから新政府に出仕、司法官僚となる。明治4年英国留学、法律学を学ぶ。法律に関する著書がある。欧州留学中水産学を志し、明治15年大日本水産会を創立、明治21年水産伝習所(今の東京海洋大学)創立することに尽力する。 大日本水産会の幹事であったとき軍用として魚肉缶詰の採用を軍当局に勧告し、その結果として牛肉以外に軍需として魚肉を使用する缶詰を採用することとなった。日本の缶詰が発達したのは水産缶詰からで戦前は輸出品でもあった。

風戸弥太郎

日本和洋酒缶詰新聞社社長

山田箕之助

明治日本で初めて野菜缶詰を作った人と思われる。

村田与兵衛

京橋にあった缶詰漬物商

練馬大根碑と鐘楼

愛染院にある練馬大根碑と鐘楼

練月山 愛染院 観音寺

所在:東京都練馬区春日町四丁目
交通:都営地下鉄大江戸線 練馬春日町駅下車 徒歩三分
題字:東京府知事 川西実三

愛染院鐘楼

境内にある鐘楼は、東京練馬漬物組合員149名が持ち寄った沢庵石を礎として建てられています。

柴田  常恵撰

  蔬菜は、人生一日も欠き難き必須の食品たり。特に大根は滋味芳潤にして、栄養に秀で、久しきに保ちて替る所なく、煮沸干燥或いは生食して、各種の調理に適す。若し夫れ、沢庵漬に到りては、通歳尽くるを知らず、効用の甚大なる蔬菜の首位を占む。
  今や声誉内外に高き我が練馬大根は、由来甚だ久しく、徳川将軍綱吉が舘林城主右馬頭たりし時、宮重の種子を尾張に取り、練馬の百姓亦六(今の鹿島姓の旧家)に与えて栽培せしむるに起こると伝ふ。
  文献散逸して拠るべきもの乏しと雖ど、寛文中綱吉が再次練馬に来遊せしは、史蹟に載せられ、当時の御殿跡なるも今に存するを思へば、伝説が基く所ありて、直ちに斥くべきにあらず、爾来、地味に適して、栽培に務めしより久しからずして、優秀なる品種を作り、練馬大根の称を得て、重要物産となり、疾く寛政の頃には、宮重を凌ぎ日本一の推賞を蒙るに至れり。
其の一族の守る所として知られしも其の名は大根に依り始めて広く著はる。而して輓近国運の伸長は歳と共に其の需用を増し、加ふるに沢庵漬として、遥かに海外に輸出さるるより、競うて之が栽培を計り、傍近数里殊に盛たるものありと雖も、尚且つ足らざるを感ぜしむ。昭和7年10月東京市に編入の事あり、都市計画の進程に伴ひ、耕転の地籍徐に減退を告げ、其の栽培の中心は傍近の地に移るに余儀なきを覚えしむ。現時沢庵漬の年産8万樽に達せるは最高潮と称すべきか。 茲に光栄輝く皇紀二千六百年に当たり、奉賛の赤誠を捧げて、崇高なる感激に浸ると共に、東京練馬漬物組合員一同相胥り、地を相して、各自圧石を供出して基壇に充て、其の旨を石に刻して、後昆に遺さんと欲す。 偶々其の記を予に嘱せらるるも、不文敢て当らず。予は尾張の出にして、居を此の地に営み、大根の由来と稍々相似たるものあるは、多少の縁因なきにあらず、奇と云ふべきか、辞するに由なきより、乃ち筆を呵して、其の梗概を記す。

昭和15年11月
練月山 亮通 書

注:宮重 ダイコンの品種 愛知県西春日井郡宮重の原産
寛文中 1661年から1672年まで御殿跡 練馬区北町1丁目14に『徳川綱吉御殿跡之碑」がある。
海外に輸出とは 中国·朝鮮·満州及び日本人移民先(ハワイ·米国等)
8万樽とは4斗樽換算で沢庵漬が1樽の中に約56kg入る。約4500トン。
(東京練馬漬物組合員の産量)ダイコンの病気発生以前の昭和初期はさらに多かった。